村上智彦(村上智彦)氏
1984年2月19日 愛媛県今治市生まれ。高校卒業後、神戸国際調理製菓専門学校(Ecole CP)に進学。2004年に卒業後、大阪のリーガロイヤルホテル入社。メインレストラン「シャンボール」など約13年間勤務したのち、退社。半年後の2017年11月27日に大阪・南森町に「しまなみふれんちMurakami」を開業した。
ホテル在籍中には、「エスコフィエ・フランス料理コンクール」ファイナリスト、「テイスト・オブ・オーストラリア」優勝をはじめ、数多くの料理コンクールの受賞経験がある。
13年の修業を終え、いよいよ念願のお店を開業
故郷の特色を盛り込んだフレンチで多くの人を魅了
大阪の名門老舗ホテル出身の村上智彦シェフが、2017年に開いた隠れ家的フレンチレストラン「しまなみふれんちMurakami」。シェフの地元・愛媛県のしまなみ海道をテーマに、瀬戸内の旬の食材を使った独創的な料理を割烹スタイルで提供し、たちまち多くの支持を集めました。約13年間の修業生活を終え、満を持して自分の店をオープンさせた村上シェフの独立までの経緯や料理人、経営者としての思い、今後の展望などを伺います。
独立のために必要な項目は何かを考えた
独立の準備はいつ頃からされていたんですか?
ホテルに入社する前から将来は自分のお店をしようという目標がありました。といっても、まだ何もお店のことはわからないので、物事を明確化しようと、25歳ぐらいからお店をするために必要なことを項目に書き出して、それを一個一個つぶしていきました。例えば、お皿や調理器具が要るなあとか、それを買うお金も要るなあとか。また物件も要るから、どういう物件があるのかを不動産屋に聞きに行くなど、下調べのようなこともしましたね。
このタイミングで独立しようとなったきっかけは何ですか?
きっかけは、全国的な大会で優勝できたことですね。そのときの審査委員長がたまたま、フランス料理の鉄人の坂井さんだったんです。昔と変わらずカッコいい坂井さんがいて、小学生の頃に「料理の鉄人」を観ていたのと同じような光景が、30歳になった自分の目の前に広がっていました。ちょうど料理コンクールを始めて10年ぐらいでしたが、その大会で優勝することになって、心の区切りがつきました。
そこからは早かったですね、会社を辞めるのも(笑)。そのときにはすでにお皿などを買いためていて、マンションの一室が皿だらけになっていました。
介護食の仕事でホスピタリティの大切さを学ぶ
ホテルを辞めてから開業するまでにどこかで修業されましたか?
修業ではないですが、ホテル時代に磨けなかったものを学ぶために、イタリアンなど他ジャンルのお店で調理やサービスをしたり、ワインを出すバーでアルバイトしたり、お寿司屋さんの調理場にひと月ほど通ったり、いろいろなところへ行きました。その中でもメインにしていたのが、介護の食事を作る仕事でした。
フランス料理では、ペーストやピューレのように食べ物のかたちをなくすことをよくするのですが、その延長線上として介護食って何だろう、サービスとは何だろうと思ったのがきっかけです。自分の手で食べ物を食べられない、のどを通らない人たちがいるような施設で、料理を作って配膳したり、配ったり、コミュニケーションをとったりすることで、いろいろな人たちがどんなことを求めているのかを学ぼうと思ったんです。
今、カウンター越しにお客様を見ていてもいろいろな色があるわけで、いつも来て下さる方の好きなテイストに合わせて料理を作ってあげるのも一つの料理かなと思うこともあります。それも介護食の仕事を経験したから思えることですね。「この方はなんで食べないんだろう」と思ったら、手が不自由だったとか。あらかじめ情報がなくても、いち早くその答えに気づいて、例えば手が不自由な方やナイフフォークが苦手な年配の方に料理を小さく切ってあげたり、足の悪い方には椅子を引いて座らせてあげたりする。お店にとって一番大切なのは、やっぱりそうした人としての気遣いとかホスピタリティの部分。いくら最高の技術があっても、それが欠けていたら最高のサービスではないわけです。そのことにかなり気づくことができたと思います。
お客様の顔が見えるカウンターのある店に
半年の間にいろいろ学んだあと、2017年11月27日に店を開きました。ここは北区で探していて偶然見つけた物件で、商店街のそばなのに隠れ家的な感じが気に入りました。開業資金は、銀行からの借り入れと貯金で1500万ぐらい。開業後も改装したりお皿を全部買い替えたりして、更に1千万はかかっていると思います。親の援助は全然考えていなかったですね。専門学校も行かせてもらったし、自分ができる範囲でやろうと思いました。
独立するにあたって決めていたのは、まずオープンキッチンにすること。ホテル時代はクローズキッチンで、お客様の顔が見えないことが嫌だったんです。おいしかったと言われても、本当においしいのかどうかわからないので、お寿司屋さんのようにカウンターでお客様の顔が見えるかたちにしたいと思っていました。また、昔のフレンチって4時間とか料理の提供に時間がかかりすぎて、それでフレンチを敬遠する年配の男性もたくさんいらっしゃる。だから、もっと料理を提供する時間を短くしようと。そんなふうに従来のフレンチの中で自分がいいと思うものは残して、嫌だなと思うところは変えていきました。
フレンチでここまで郷土色を打ち出したお店は珍しいですね。
故郷をテーマに、自分らしいフレンチを表現
そうですね。いろいろな料理を学ぶ中で、自分らしさって何だろうと考えたときに、頭に浮かんだのが生まれ故郷でした。しまなみ海道という自分の故郷をテーマにしたフランス料理が、ほかの人にない自分らしさじゃないかと。故郷の食材をメインにして、自分が生まれ育った場所の景色などを連想させる料理を仕立てることによって、新しいコース料理が出来上がって、そこに付加価値がつくかなと考えたんです。
そこからスタートして、1年ごとにいろいろとブラッシュアップしていきました。愛媛の伝統工芸である瓦を壁の装飾やカトラリー置きに使ったり、ナプキン代わりに今治タオルを使ったり。うちで興味を持って関西からしまなみ海道を訪れるお客様がより一層増えるよう、地域貢献もかねてやっています。
今後の展望について教えてください。
これは10年ぐらいのスパンで計画していることなんですが、伯方島の近くに祖父が持っている土地があるので、この店はとは別に、そこで地産地消を目指したオーベルジュをしたいなあと思っているんです。一日1組か2組様限定で、海外のゲストももてなせるような。今は食材を使ったり、その料理を生産者にフィードバックしたりすることしか故郷に貢献できないですけど、それ以上のことをそちらでできたらいいなという思いはあります。
料理の専門学校に期待されることは何ですか?
調理師学校に求めるのは、社会に出ていく一歩手前の子たちなので、社会人に必要な教育をしていただきたいのと、現場ではどういうことが求められているのか、現場で求める人物像といったことももっと詳しく教えていっていただきたいということですね。自分は料理がしたいからサービスは絶対に嫌だとか、学生のうちに凝り固まったイメージはなるべく持ってほしくない。将来お店がしたいのなら、サービスも料理もどちらをしても糧になりますから。
料理人を目指す専門学校生にメッセージをお願いします。
自分の頑張りが自分に返ってくるのが料理
学生さんたちには、自分は本当に料理が好きなのか、趣味でいいのかとか、そういうことを一度、真剣に考えてみてもらいたいですね。趣味程度でいいのならそれなりの就職先に就職すればいいし、料理を本気で目指しているのだったら、本当に厳しい現場に行くことが自分の成長につながるので、そういうところに働かせてくださいと直談判でも何でもして入って、自分の夢を叶えるために努力していってほしいなと。せっかく料理を学んだのだから、料理をやめるというのではなく、料理を学んだことを生かしてほかの職業につくとか、今後も料理にできる限り携わってもらえたらと思っています。
また、たとえ失敗しても、二十歳ぐらいの頃はまだいくらでもやり直すことはできるし、チャンスも来ると思います。そのチャンスを自分でとらえるためにも、料理だけでなくいろんなところに視野を広げて情報を入れていってほしいですね。
自分が本当に一生懸命頑張ったことは自分に返ってくるものです。ただ、結果につながるのは5年後10年後で、5年10年やってみて、初めて自分の頑張ってきたすべてが結果として現われる。それが料理という職業かなと思っています。
しまなみふれんちMurakami
大阪市北区天神橋1丁目13-15